カテゴリー: 日記

  • 気分転換がうまくなりたい。

    気分転換がうまくなりたい。

    今日はいろいろと気分転換。

    お部屋のごく簡単な配置換えをしたり、ちょっといろいろ手放したり。

    今月から、また徐々にこれまでちょっとこだわっていた発想を少し変えたり、

    ちょっと考えすぎるなぁ、ってところを見直して緩くしてあげたり。

    ついつい自分にストイックになり過ぎてしまうと言うか、それで充分なのに更に追い込もうとする癖が、

    どうにも抜けないみたい。

    情報好きがいつの間にか情報過多

    今日でずっと何となく続けていたサブスクの更新をやめてみた。

    特に気分は変わらなかった。

    それは見ないようにする事で、かえって気持ちが軽くなる事も、あるんだと。

    特に体調や、体・心のリズムに敏感になってきたなあ、と、思い始めていたので、

    可能な時はスッ、と減らして余白を作ろうと。

    そろそろ寝ます。お休みなさい。

  • 雑感 2024年年明け

    雑感 2024年年明け

    気候が近年本当に悪化してますね。

    今年に入り本当にみんなが辛いな、と思うことが続いていますね。。

    50代からの生き方。

    私は結構自分にいつも関心があって、周りの事にあんまり興味が湧かなかったりします。主に自分の悩みに関心が行ってたりするのです。

    それも最近になってHSS型HSP気質の影響を受けてるのかな、と腑に落ちるようになってきました。

    育って来た環境のこともあって、いつも自分の事で悩んできた感じがします。

    若い時はそれで焦って周りの価値観に合わせたり、失敗したりで、自分の事を知り寄り添うことができるようになったのはこの1・2年でしょうか。

    今は自分の感覚を信じ、大切にして生きている気がします。

  • 幼少時代①

    幼少時代①

    昭和の高度成長期、東京のかなり裕福な家で生まれ育つ。

    山の手の豪邸に住んでいたはずが、気づくと築50年超の雨漏り一軒家の2階に家族と移住。

    のちほど、身内のお家騒動に両親が巻き込まれた事を知る。

    物心付いた時から、周囲の大人達の言動に違和感を感じていたが、親や周囲の愛情は受けていた。

    ただし教育に厳しく、特に母の反応が怖くて毎日ほぼびくびく暮らしていた。欲しいものはすぐに与えてもらえていたが、ほぼ叱られた記憶しかないので自分に自信がなく、身内以外の世界には一切入って行けず。

    学校でもいじめに遭い、親友と思っていた人からも突然別れを告げられ、やがて父が下町の新築マンション購入権を抽選で引き当て、引っ越し・転校。

    そこでも、これと言って自分に変化は無く、新しいクラスメイトが優しくしてくれてもどうしたらいいか分からず、いろいろとあったが特に楽しかった記憶は無し。

    体が弱く、環境の変化がある毎にストレスを感じていたのか、夜寝る頃になると息苦しさを感じるようになっていた。

    一流校へ行く興味は全く無かったが、教育に厳しい家の掟のようなものに強制され、時代もあって日々何かと勉強を強制された。

    概ね特にやる気の出ない受験勉強は夏休みの宿題の追い込み風に、直感に任せて適当にちょこちょこと物事を把握してアウトプットしていた。でも父親譲りの豪運で、私立高校から浪人、短大へ進み、最終学歴は大卒。

    大学時代、唯一運命の人と感じていた幼馴染から自己啓発セミナーを勧められる。何か良くないところへ行ってしまったかも知れないその人を救う、という建前と、自分の心の奥にずっと閉じ込めていた変わりたい、という本音のもとそのセミナーに参加。少し希望を見出したものの、大学を卒業する頃にはほぼ全てを失い、ぎりぎりのところで震えているもう一人の自分を目の当たりにして、余計に辛くなっただけだった。

    就職も、やりたいことができる訳ない、という前提で何ひとつやる気が起きなかった。

    既に父が個人事業に失敗し、社会人経験のほぼない母親と共働きをしている状態だったので、社会人となって働かなくてはいけなかったが、やりたい事が見つからないし見つけられない日々を過ごす。